308: 癒されたい名無しさん 2007/06/15 01:06:16 ID:8dcBAzqF
泣けるかどうかわからんが・・・ 

私の親父さんはいわゆる転勤族だった。兄弟全員が生まれた地方が違うぐらいだ。 
幼稚園の時、親父さんは絶好調に忙しかった。企業戦士というやつだ。 
だから、親父さんと会うのは週に1回会えればいいほうだった。大好きだった。 
でも、幼稚園で親父の顔が描けない。親父さんは夜遅くに帰ってくるとなめるようにずっと俺たちを見つめているのに・・・。 
牛を描いてしまった。親父さんが牛っぽかったからだ。 
幼稚園から母ちゃんに電話が入った。『どうしたのでしょうか?』事情を説明した。 
仕事が落ち着いてくると、門限に厳しい親父さんだった。部屋に『鉄砲玉王』と書かれた紙が張られてた。 
大学の入学式に来た。子供の行事には全く参加しない親父さんが武道館に嬉しそうにいた。 
結婚式ではベロベロ仁酔っ払って大変だった。旅館の露天風呂が最高だとご機嫌だった。 
幸せだった。親孝行ができた瞬間だった。 
半年後、スキルス性の胃がんになった。余命半年。手術にかけた。健康食品にかけた。 
家族全員が、彼の命のともし火を絶やすまいと頑張った。発病から1年半たった。 
手術後の抗がん剤治療は、プライドの高い親父さんには数多くの屈辱を与えた。 
毛が抜ける・歩けない・食べられない。バナナと大根の煮付けしか食べられない。 
健康のために、5年以上前から1日3箱吸っていたタバコをやめていたのに、色々な健康にいいことをやっていたのに・・・ 
やりきれなくなってきた。私は2人っきりのとき親父さんに言った。 
『もうつらくてしょうがないのなら、自分の好きなことドンドンやればいいんだよ!タバコも吸っちゃえ!』 
『やりたくても思いつかないんだよ。つらくって・・・』親父さんから聞いた初めての泣き言。 
とうとうXデーが近づいてきた。 

5/12朝。母親から電話:相当ヤバイ。今回が最後の入院かも。眼が見えない、物が飲み込めなくなっている。 
5/12昼。病院で親父さんと会う:病院の入り口まで車椅子。しかし、病院に入ってからは自力で歩く。 
5/12夕。医師から説明:脳に転移判明。放射線治療を始めるとの事。兄貴がここまで見つからなかったのはお前らのせいじゃねぇのか?と反論。主治医うつむいたまま。 
5/13昼。放射線治療開始:卵焼きの匂いがすると親父さんが言う。 
5/14昼。夫の両親がお見舞い:親父さん、『お宅の近くにはガンセンターはありますか?』と質問。おいおい私を気遣ってるのか? 
5/14夕。平山郁夫の絵本を買ってくる。:らくだがピラミッドの前を歩くところで手を止めた。 
5/14夕。みんなの制止を振り切って一人でトイレに行く。;しかし清拭はこのとき初めて兄貴が背中を拭いた。誰にも手伝わせなかったのに。親父の背中は大きかったそうだ。 
5/15未明。母ちゃんに今何時と聞く。『もう朝かと思ったんだ。ご飯食べないとダメだよ。』といって、意識がなくなる。 
5/15早朝。氏去(65歳) 

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最後まで、誇りを失わなかった侍のような親父さん。大好きだよ。そして、最後の言葉は、大好きだった母ちゃんへの思いやりの言葉だった。 
やさしいあなたが父親だったことを私は絶対に忘れない。 


3年後私は、ある資格を取るためにスクールに通いだした。スクールは親父さんの母校の目の前にある。 
4年後の5/15に夫は単身赴任の辞令がきた。中国。 

親父さん、私に何が言いたいんだろう?運命のいたずらか? 
6/10 墓前で『愛しているよ』『どうか夫が無事に中国で仕事ができるように』と祈った。 

今思えば、最高の癒し系の人だったのかもしれない。 
私の牛さんは、強くてやさしい牛さんだった。
引用元: 【泣ける話】